4. 神と 十字架の 自然啓示
芸術作品は、それを創作した芸術家の実質を表現する。「自然啓示」は、聖書に書かれていること以外からの「奥義」の一つであり、神の三位一体の深い意味、聖書との整合性が明らかにされるためものである。
思索のうちの”数量的思索”においても、また、自然界における物理法則においても、ある共通点(exp(iθ))が現れ、「神の三位一体」と「十字架の愛」がその実質に現れているのである。
そして、「神の三位一体」から、物質や思索の”波動性(=不確定性)”が現れ、それから自動的に、3次元世界に重畳する「四次元世界」が出現する構造になっている。
(1) 自然啓示による神の本質的な存在形態:
ここで、霊的世界を測るための”定規”として、 数学から、円周率(π)、自然対数の底(e)、虚数単位( i ); 物理学から、光速(c)、プランク定数(h)
を用いる。これらは、よく知られている 数学、物理学の基本定数である。
「神が天(=空間)を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき(π)、わたしはそこにいた。 ・・・ わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者(e)であった。」(箴8:27−30)
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間(e)と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」(ピリ2:6−8)
「万物は、御子(e)によって造られ、御子のために造られたのです。 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。」(コロ1:16、17)
「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら 神は愛 (eiπ=−1)だからです。」(Tヨハ4:8)
『天国で一つの言葉が放たれると、その言葉に伴って、音楽、香り、光の色、その言葉に与えられた数学的方程式が現れる。』(ジョン・ポール・ジャクソン)
1) 事実は小説よりも奇なり。 20世紀に入ってから発見された、人間の思索の根底にある逆説的な真理、「数理論理学」の不完全性定理から、神の存在形態を調べる。
その第1定理(= システムSが無矛盾ならば、システムSは不完全である)の対偶をとると、
・・・・ システムSが完全ならば、システムSは矛盾している :
となる。 このシステム S とは、自然数論を含むあらゆる数学の公理系、階層構造を持つ言語体系、コンピューターのアルゴリズムなど、可付番で無限性をもち(=自然数論を含み)、自己言及・相互言及を含みうる程度に複雑な理論・システムならば何でもよく、”人間理性で捉えられ得る神”の概念もこの延長線上にあるものとする。
すると、「神」が「全知・全能」であるならば、その存在形態が矛盾していなければならない。(ここで、論理学的に”完全”とは、システムSのすべての命題が決定可能(=証明可能
あるいは 反証可能)であることであり、この「神の全知・全能」に相当する。)
言語 | 数学 | プログラム | デジタル回路 | |
担体 | 階層構造をもつ言語 | 自然数を含む帰納的な関数 | アルゴリズム | NAND回路の組合せ |
方法 | 自己・相互を否定的に言及 | それ自身のゲーデル数をもとの式に代入 | ジャンプ・ループ | 負帰還回路 |
結果 | パラドックス(矛盾) | 不完全性(証明も反証もできない) | 無限ループ | 不定状態・発振 |
2) 次に、この論理学的な「矛盾」(=”真”と”偽”が定まらない状態)は、アルゴリズムの「無限ループ」、デジタル回路の「不定」に相当し、0 か 1(あるいは、−1 か 1)が本質的に定まらない状態である。
さらに、アナログ回路では、−1 と 1 の中間の値は、実数直線上の 0 ではなく、ガウス平面上の exp(iθ) の形となる。
(* 四則演算が可能なのは”複素数体”までであって、それ以上の 四元数、八元数、十六元数などは演算上の制限が厳しく、ガチガチの”剛体”である。複素数は、ガウス平面であらわせるように”平面の数”である。 また、「正則関数」の条件を満たすのは、整式、有理式、および、指数関数(=展開して有理式で表された無限級数)
とそれらの組み合わせまでである。)
数量的思索を代表する「数学」の分野は、本質的に、 幾何学、代数学、解析学の 3大分野に大別される。 そして、それぞれの分野から、3つの基本的な「数学定数」(幾何学: π、 代数学: i 、 解析学: e )が与えられ、それぞれ、各分野から独立に導かれた定数である。(他の数学定数と呼ばれるものは本質的ではなく、これらの3つのみである)
オイラーの関係式 は、 x を変数として、”円的に”実数と虚数との間を行ったり来たりする形態を表現している。
そして 特に、 X = π のとき、非常にエレガントな形、
オイラーの恒等式 となる。
非常に不思議なことに、この式は、これらの 3つの基本数学定数を含み、全く違う思索分野からそれぞれ独立に導かれた3定数であるにもかかわらず、ここで単純な形で一つに合体する。
ここで、形而上学的に、「父なる神」が π、 「御子イエス様」が e 、「聖霊様」が i を それぞれ象徴しているとすれば、 オイラーの恒等式は、「神の三位一体」を表現していることになる。(* さらに、 exp( i π/2 ) = i などより、3定数のうち、2者が他の1者を定義する関係にある。)
3) また、思索だけではなく、「自然(=被造物、物理)」においても、あらゆる現象は、(いくつかのプリミティブな法則を除いて、)
(1) e−x 型(死のパターン): 熱力学、統計力学、梁のたわみ、砂利の山の形、コンデンサーの充・放電、放射性核の崩壊、・・・
(2) e iθ 型(いのちのパターン): 周期現象、振動・波動、光学、発振、電磁波、量子力学的振動、・・・
のどちらかである。(減衰振動など、いのちと死が混在する場合もある)
特に、物質の最も根底にある 量子力学的振動は、オイラーの関係式そのものであり、物質の存在確率が 実数と虚数との間を行ったりきたりする 永続的な(水面下の)振動となっている。自然の本質は複素数である。(* 確率性は、「信仰」をあらわす。)
自然対数の底 e そのものは、超越数であるということだけで、通常の四則演算ではほとんど意味を持たないが、複素数を冪とする「指数関数」として用いられると、数学のみならず物理・工学分野全般に関し爆発的な発展性を有するのである。 これは、@ 御子にあって万物が創造され、 A 御子イエス様が、この世に受肉され、人として来られた「現人神(あらひとがみ)」であることを、必然的に現している。
聖霊様との関係を表す iθ は、実に、e の 指数として用いられている。これは、B 人となられた御子「 e 」が、聖霊様「 i 」に満たされていのちのわざを行なわれたからである。 iθ は、e に対して”指数的に”影響を及ぼす。
そして、C オイラーの恒等式では、御父の定められた特別な時(θ=πの時)に、 右辺の
−1 が、 「十字架」、すなわち、「神の愛」を現している。神は、その存在形態が本質的に「愛」であることが、自然啓示によって表現されている。
* 複素平面上の「正則関数」の特徴は、
正則な関数の 線形結合も、また 正則である。・・・つながる場合
また、正則関数の正則関数もまた、正則である。・・・含まれる場合
・・・・・ キリストにつぎ木されると、いつもいのちがあって 実を結ぶ。(ヨハ15:4) ・・・ (→ 7. 神の3定数 e 、π、 i のまとめ )
** 複素平面上の「特異点」が幾つもあっても、特異点以外は正則であり、それが 真性特異点(赦されない罪)でないかぎり、
特異点は外部の点として除かれ、発散(神のさばき)をすべて回避して、正則となり、次の世(2π i )に収束する。
・・・・・ 人は、(聖霊を汚す罪以外は)どんな罪をも赦され、あたかも一度も罪を犯したことがないように、神の子供として扱われる。
(2) 次元が「いと高き方」:
「一粒の麦は、一度死んで、それから多くの実を結ぶ。」(ヨハ12:24)
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」(ピリ2:6−8)
「多くの者があなたを見て驚いたように、その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。そのように、彼は多くの国々を驚かす。・・・」(イザ52:14、15)
旧約時代の「律法」で定められた「贖い(=買戻し)」の規定は、 1 → 1 であり、通常の作用・反作用の法則である。
しかし、イエス様の十字架による贖いは、 1 → N (ただし、Nは非常に大きい数) であり、計り知れない、非常に大きな価値のあるものである。その理由は、御子イエス様が、次元の「いと高き神の子」であり、同時に、「神」だからこのような効力があるのである。
この点で、いわゆるビッグバン説の補間理論として考案された”インフレーション理論”は興味深い。この理論は、実際の宇宙観測の結果とは完全に外れている 間違った学説であるが、理論的には成立する。(・・・・・ 宇宙は造られてから約6000年だから、計算が合わないで当然)
それは、1個の高次元粒子:インフラトンが崩壊してビッグバン宇宙になったと言われるもので、このことになぞらえて、主は「(次元が)いと高き方」と言える。その崩壊は、宇宙生成前に存在していた この謎の高次元粒子インフラトンも、3次元粒子と同様に量子力学に従って 不確定性原理に基づく零点振動をしていて、それがある確率で、ある時 ポテンシャルの壁を越えて、より低次元(3次元)の超高エネルギーの粒子群に崩壊し、大爆発して宇宙ができた、というものである。 たった1個の高次元粒子が、計り知れないエネルギーと、非常に多くの低次元粒子を生み出したのである。
(参考:) いわゆる”古いインフレーション理論”は、膨張宇宙論における地平線問題、平坦性問題を解決する目的で、アラン・グースによって提唱された。(1981) (彼の論文は、「地平問題および平坦性問題のありうる解決」) その問題解決のポイントは、プランク長程度の大きさから 10-35秒のごく短時間の内に急激に加速膨張するというものである。最初あまりにも極微なため、初期の粒子相互の因果律が保たれ、因果律の無くなる後の宇宙の背景放射の強さが同じとなる。また、膨張開始後1秒後の
Ω = (宇宙の密度)/(臨界密度)は 1±10-15 の精度が要求されるが、インフレーションによる宇宙の直径の膨張率が少なくとも
1030 オーダーで急激に膨張するため充分相殺され、後の宇宙は充分大きく広がったので我々が見える宇宙はごく一部のものとなって、ほとんど平坦になり、このようにして平坦性問題は解決したとする。
原初の火の玉宇宙の膨大なエネルギーの起源は、初めの”ニセの真空”とよばれる高次元・高エネルギーの真空が崩壊する時、インフラトンという仮想的な粒子がそのインフラトン場のポテンシャルの壁をトンネル効果によって通って現れ、極短時間の膨張途中で、対称性が破れ
重力を含む4つの力が分離し、3次元空間に膨大なエネルギーを供給する、というストーリーである。また、そのとき同時にできる重力場が負のエネルギーとなるため、エネルギー保存則が保たれているとする。 しかし、インフラトンという仮想的な粒子の正体については何も分かっていない。
第四次元は、3次元世界を支配する。 この物理的な発想は、御子イエス様が、次元のはるかに高い「神の子」でおられるのに、人となられて、十字架の死をもって「犠牲」になり、歴史を超えて、非常に多くの人々を贖ったことを説明するものである。
御子イエス様の十字架の様子は、当時のヘブライ語聖書に記述によると、ローマ兵による39回の鞭打ちによって、”十字架から、生肉がぶらさがっているようだった”とある。この、顔立ちも姿もそこなわれたイエス様が、幻を通して、時代を超えて、同時に多くの人々に現れるのである。
我々が、十字架で痛められ、苦しまれ、血を流され、そして 祈られているイエス様を思い、イメージして、そしてこの幻が現れるならば、「贖い」がなされ、いやし、解放、また、広義のいやしが行なわれるのである。(この幻こそが、「確信」である。)
* 確率性と「信仰」:
量子力学の2大原理は、「波動性(=不確定性原理)」と、「確率性」である。 物質の水面下では、波動方程式を解くことによってその量子状態のすべての可能性を計算できる。しかし、計算できるのはあくまで”可能性”までであって、実際
その粒子がどのように振舞うのかを予測することはできない。ただ、この確率でこのように現れるとしか言うことができない。(* マクロでは、古典力学に近似する)
水面下では、一意性、連続性、因果性、必然性(思索と一致する部分)が成り立つが、実際起こることは、確率性、不連続性、非因果性、偶然性である。このギャップは、20世紀に物理学者たちによっていろいろ検討されたが、結局、唯一、量子力学が正しく、1個の粒子の振る舞いを予測することは本質的に不可能であることが明らかになった。
もちろん、神様はすべてをご存知である。知らないのは人間の方である。(* アインシュタイン(ユダヤ人)は、すべてを知ることができるはずだと主張し、量子力学を否定していたのは有名。”神はサイコロを振らない”)
したがって、この「確率性」は、造られた自然の持つ本質的性質として、人の知る限界の一つが明らかにされたものである。 1個の粒子が次にこうなることを予測することは原理的に不可能であり、我々は神様のみことばに従って、「信じる」しかないのであり、この「信仰の歩み」こそ、神様が定められ、人に課せられた設定である。
人は「信仰」によって「義(正しい)」とされ、神様は「信仰」の歩みを喜ばれる。(ヘブ11:6)